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その他:■蘇集の漁村の保育所  ■これだけは止めて
※ 更新日 2002年月09月20日


マンションの裏側。
門一つで・・。少しでも陽だまりがあるとこうして洗
濯ものオンパレード
_/_/2001/09 _/_/
■今度は、ほんとに早かった。
そろそろ仕事のポジションも決まった。仕事らしきも来た。初心者マークを返上せねば。
8月のはじめの週末には船で島に行った。海が普通の青い海で、空が普通の空だったので生き返った。地元上海人が誘ってくれた。(会社とは関係ない、English cornerで知り合ったPさん。)


下町風景

文面とは関係ありません
■土日で8/4〜5で、一泊旅行に行った。

芦湖港というところから、チャン泗島という33KM離れた島まで。そこから日本は700KMと看板にあったか!?その島あたりは404島の列島からなっており、なるほど九十九島の感じでもあったわ。
朝9:45にひらって貰い、浦東のこの港には11時頃に着いた。

●車はワーゲン・サンタナ。
こちらでは、流行っている車種。運転手はPさん知人で軍の若い人。この日は、休みというので足代わり。ご存知のように、こちらではこんな風に知りあいネットワークがフル活用します。ファストボートはオーバオーブックキングだったので普通のフェリーで。3時間位かかった。それも定員オーバーの乗車、さらに混み混み。土日だからこうなんだ?!とか。上海ピーポルの娯楽志向熱は、はじけているよ!
汚い船だった。地元の人が生活品を運んでいたりしている。共産圏の昔のあの古さ。ひとつ中心から離れるとこんなふう。

●海が茶色、空がグレー。
これが上海の”普通”。まあー聞いていたけれど・・泥色にはショック。洪水のアルノ河(92年の秋?)と変わらない。その濁色が海一面だから、このスケールたるや凄いもんだと改めて関心。

●一緒に行った2家族。
いつものPさんとその友人Sさん。このSさんはgood workerに表彰されたと聞いている。(何と訳すのか?)Pさんところは84年生まれの男の子、Sさんは86年生まれの女の子。この2人はこれまでも誘ってもらったプールで一緒だったし、English Cornerでも会っている。女の子は英語を話す。この女の子のおじさん、つまりSさん
のお兄さんがいわゆる有名大学(同済)を出、日本系企業で働ていている。日本にも行くらしく「日本の海は青いんでしよ?」と。「伯父さんがそう言っていた」からと。
ああそうか「海は青い、空はブルー」というのも固定観念なんだ。太陽が朝、東から昇って西に落ちるというのが固定観念だと知ったのは、以前ノールカップに行こうしたときのこと。こんなことすら、ちょっと所が変われば思いが違うのだから、一人の世間とは狭いもの。前提となる物差しが違うのだから、何事も決め付けないほうがいい。

●島は普通の田舎で、
特にきれいでも風光明媚でもない。無造作に開拓されていた。しかし私にとっては、ありがたく、たいそうリフレッシュできた。というのは、このころ上海の空気と景色には、辟易としていた。日本をたつ前、N畑先生が「慣れて来ると、郊外に行って見ると田舎風景が残っていて、緑がこころを和ますよ。」とアドバイスくださった。そのときは「私が町育ちだから、むしろネオンがないと眠れない。」返事したものだったが、今は身にしみている。普通の空と、普通の畑とか、普通の緑が、なんとありがたいものか。くたびれていた何かを、生き返えらせてくれた。普通の空が懐かしく、ホットした。

●町はちいさく、綺麗ではないけれど、
山の上に行くと日本人の建てたという禅寺があった。海岸線も綺麗なところもあったけれど、そこには漁船が溜まっていた。まだ、美観だ景観だと言う余裕がないふうだった。
会社とこのアパートしか知らず、しかもこの公害級の空気に、嫌気不安がさしていたとき、この2家族とその子供との旅行に息抜きできた。費用はすべて彼女もち。割り勘とかではない。




下町風景
竹の足場。さすが
竹の国、たいていは鉄でなく竹の足場だよ。
(文面とは関係ありません)

■先週だったかな

日本に嫁に行ったPさんの友人が、上海に里帰りしており、3人でカラオケにいった。もう夜中だった。

でも予約満杯。午前1時からやっと取れたほどに。
そこは昼間の賑わい。若いのがいっぱいひしめいている。完璧な茶パツもいた。「あれ、日本ではやっているよ。息子がしたら?」いうと、イヤーダ冗談じゃないと顔をしかめた。この速さのある上海でさていつ広まるか?私が面接に来た4月には、街では1人たりとも見なかったが。

待っているあいだ、
彼女に「日本に慣れた?日本人って冷たいでしょ?」と聞いた。
多分どこの外国人も日本人は冷たいと感じるだろうなと、想像できるから。案の定「そう、どうしてあんなに兄弟が冷たいの?」と。あとは“裏表がひどい”と。表面では仲良くしていても、居なくなると陰でその人の悪口を言っている。
始めはそれが信じられなかった。また、美味しくなくても、美味しいと・・うそを言うと。「でも、そういわないと仲良く出来ないから、今は自分も言うけれどね」と。
「上海では、これまずいよと平気で言うけれど、でもそれまでよ。」と。「こういう単純さが気楽。友達といえばとことん友達、力になってくれる。兄弟もとことん助ける。皆の幸せが自分の幸せ。兄弟の不幸は自分の不幸、という」彼女。

「じゃあ、子供が大きくなったら、こっちの大学入れるの?」
「英語圏に入れるわ。」と即答。この人のお姉さん(香港系に勤めている)の子供は、今ニュージーランドの学校にいる。日本は“リピーター”を作れない国。日本を知った人は、次は間違いなく英語圏をめざす。

Pさんは、英語に目覚めた。
それがこの4月。以来、毎日2時間は勉強に当てているらしい。旅行中も寝る前、船の中、絶えず小さい本を開けて暗記している。ほんとに熱心。これは国民性かも知れないが、知らないことを恥ずかしがらない。こういうひたむきさとパワーがある。圧倒的に私の方が語彙は多いけれど、運用力は同じ。また、私がこれほど中国語が言えるか?頭が下がる。さらに国民性より人だね。育ち方、これが大切。


下町風景
おじさん達、写真とらせてというとテレていた
(文面とは関係ありません)
昨日S檬さんと食事して、帰り

中国語もやりたいと、
まあ、ふつうの挨拶代わりに言ったら、外大の後輩達がいるから、紹介するときて、今日昼メールでやりとり、夜にはTELで決まり。《この速さ》上海の速さか?!言った時は考えたとき。考えた時はもう行動している。(またネットワークをもっている。)

S檬さん。上海外語大に推薦で入り、
今年からM物産勤務。この外大の推薦枠というのはかなり狭い、難関らしい。進学高校のさらにトップでないと無理らしい。
こういう彼女ら就職先のねらい目は、やはり五代コンサル。ブーズアレン、マッキンゼー、ボストンコンサル・・・。意識は、もう完全に世界化している。彼女もM物産は本命ではなかった由。童顔で化粧気もなく、まるで高校生みたいに爽やか。

しかし、こうはしていてもMBAは完ぺきに射程距離に入っている彼女の発音と日本語が綺麗で、さらに表現力があって、感性も意欲もあるから、楽しい話が出来た。6時PMから10時まで休みなく話した。根堀葉掘り、上海人のことなど。

●お父さんが会社では私の隣の席。
文革で10年遅れて大学に行った世代。85年にAOTSで日本に。このとき上海市から、コンピューター部門ではただ1人選抜された。やはり難関をくぐり抜けた人。大学入学時にこの娘さんが生まれた。子守りがいないから、学校に連れて行ったという話も聞いた。お父さんの手つくりの服を着ていたこと等も。ほほえましい。


車窓から

こちらに来て、思うのは、

スパーマリオみたいな生活だということ。
ああーもう駄目、絶対絶命。と思うと、次のキャスチィングがくる。やれやれと思う間もなく、また次に、また落っこちそうになる。おっとっとっと、そういっていると、また次に。そんな繰り返し。